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日越大学の学生たちが日本で2週間のインターンシップ
―3年前の台風被害を受けた大子町などを訪問

 ベトナムのハノイにある日越大学(修士課程)の気候変動?開発プログラムで学ぶ学生たちが、11月7日に来日。日本での2週間のインターンシップを行いました。
 滞在中は英皇娱乐集团を拠点に活動する傍ら、茨城県霞ケ浦環境科学センター、防災科学技術研究所などの研究機関や企業を訪れ、日本における防災や環境政策の状況について理解を深めました。また、11月15日には、3年前に大きな台風被害に見舞われた大子町を訪問。農家や行政担当者への聞き取り調査を実施しました。

日越大学の気候変動?開発プログラムとは

 日越大学は、日本政府?ベトナム政府の合意のもと、ベトナムのハノイに2016年に開設されました。課程の運営にあたっては日本からも複数の大学が関わっており、このうち修士課程の気候変動?開発プログラム(MCCD)は茨城大学が幹事校となって、2018年にスタートしました。

apple012018年に行われた入学式

 このプログラムでは2年次にインターンシップを行うことになっており、多くの学生が日本を訪れてのインターンシップを希望します。2020年度、2021年度の2年間は英皇娱乐集团感染症の影響で日本でのインターンシップができませんでしたが、今年度は3年ぶりに実施されました。
 今回、日本を訪れたのは12人の学生たち。随時感染対策も施しながら、ひとつひとつの予定をこなし、終盤の11月18日には成果報告会も行いました。

台風19号とのつながり

 11月15日。雨が降りしきる中、日越大学の学生たちはバスで大子町へと向かいました。
 大子町は2019年10月、台風19号による水害に見舞われました。河川が氾濫し、JR水郡線が走る鉄橋が流出するなど、住民の生活に深刻な被害をもたらしたのです。
 今から3年前。MCCDの第一期生たちは、出発直前のベトナムで、日本の台風19号災害のニュースを心配そうに見守っていました。「自分たちにもできることはないか」。そう考えた学生たちは、水戸到着後、プログラムの合間を縫ってボランティアに参加。やはり被害の大きかった英皇娱乐集团の北側にあたる地区で、家屋の清掃などを手伝いました。MCCDのインターンシップと台風19号災害にはそんなつながりもあったのです。

apple02 災害ボランティアに参加したMCCD第一期生たち(2019年)

りんご園の気候変動適応策

 大子町でのフィールドワーク。
 一行が最初に訪れたのは「奥久慈りんご園」です。ちょうど旬の季節。小屋の入口をくぐると、獲れたてのりんごの赤い色があらゆる方向から目に飛び込んできます。「どうぞ、そのまま丸かじりしてみてください」というご主人の言葉を通訳者が訳すと、学生たちから歓声があがります。気温の高いベトナムでは大きなりんごは育ちません。ある学生は「フレッシュなりんごは初めて食べた」と嬉しそうに話してくれました。

apple03「気候変動の影響はありますか?」と学生が質問すると、ご主人は「私がここでりんご作りをするようになって55年ぐらい経ちますが、その頃から比べると1週間ぐらい収穫が早くなっています」と教えてくれました。
 ご主人によれば、当時作っていた品種は、木の上ですぐに完熟してしまうなどだんだんうまく育たなくなってきたそうです。さまざまな品種を試しながら栽培を続け、現在では昔作っていた品種はほとんどがなくなってしまったとのこと。
 学生が「品種を変える以外の適応策はありますか?」とさらに質問。ご主人は「土です。力強い土をつくるんです」と答えます。「手間はかかりますが、牛糞などの有機質の堆肥を入れ、さらに草を伸ばしては刈って土に還元するということを年78回やる。そうやっているうちに気候変動に耐えられるような栽培になってきました」。

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 それでも2019年の台風19号の被害は甚大でした。ご主人が発災数日後、泥をかき出したあとに撮った果樹畑の写真を見せてくれました。「りんごがたくさんなっていますが、これが全部ダメになった。木ももうダメなので切り、若い木を植えたんです」とご主人が語ります。畑の復旧には約1年かかったそう。学生たちは行政の具体的な支援について質問していました。

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 果樹園ではりんご狩りを体験しながら、当時の被害の様子や再生の経過について教えてもらいました。説明のあった力強い土づくりに興味をもった学生は、実際の土を見せてもらいながら、より詳しい説明を受けていました。

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大子のまちを歩く

 続いて水郡線の袋田駅、常陸大子駅と順に訪れ、それぞれの駅周辺を歩いて回りました。

 袋田駅から少し歩くと、真新しい鉄橋が見える場所に着きました。この第6橋梁こそ、台風19号で流出の被害を受けたあと、その後約1年半かけて新設された橋です。ここでは茨城大学教育学部の卒業生でもある元教員の方が、災害当時の様子や復旧の過程について話してくれました。

apple07 大子町は1890(明治23)年にも大きな水害に見舞われました。そのことを記した石碑が、すぐ脇に水郡線の線路が走る小さな丘にひっそりと建っています。「可恐(おそるべし)」の碑として知られるその石碑には、田畑や家屋、死者などの具体的な被害状況が彫り込まれています。地域における災害を伝承するこうしたモニュメントにも、学生たちは興味を抱いた様子でした。

apple08 大子駅周辺では、台風被害を受けて使用をとりやめた旧役場や、工事の進む堤防を見て回りました。役場の裏手に川が流れており、それを囲む堤防の高さは、台風19号災害のあと、約1メートル高くしたそうです。

 また、駅前の福祉施設の前では、そこが一次避難所となったことについて説明を受けました。学生からは「ここが避難所だと一目でわかるようなサインがあった方が良いのではないか」といった意見が出ていました。

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国境を越えた地域同士のつながり

 密着取材はここまで。学生たちはその後、町内で昼食をとり、高台に新しく建てられた役場で役場職員によるレクチャーを受けました。

 前回のインターンシップでは、機能的な日本の災害ボランティアセンターの仕組みを目の当たりにして、「ベトナムでも活かしたい」と学生たちが語っていたのが印象的でした。それから3年。今回来日した学生たちは、その台風災害から復旧していく過程を辿ることで、気候変動適応の具体例や、復興に向けたさまざまな支援のあり方を学びました。

 こうした交流を地道に続けていくことで、国境を越えて地域と地域とがつながり、それが気候変動に対する具体的なアイデアとアクションを創出していく――このことを改めて実感した2週間のインターンシップでした。

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(取材?構成:茨城大学広報室)